シリーズ「女川再稼働」つなげ 未来へのたすき ~④ 地域統括・発電所長~

 悲願の再稼働を果たした女川2号機。14年ぶりの「再出発」となりました。BRIDGEでは、震災からこれまでの長い期間それぞれの現場で対応をしてきたグループ社員にインタビューを行いました。社員はどんな取り組みを、どのような思いで続けてきたのか。最終回となる第4回は土田女川駐在地域統括、阿部女川原子力発電所長のお二人に再稼働までの道のりを振り返っていただきました。

土田執行役員女川駐在地域統括

マイナスからのスタート 「信なくば立たず」先人の教えを胸に

 

土田女川駐在地域統括

 

──女川との最初の接点は原子力とは別の業務だったそうですね。

 女川町に初めて業務で関わったのは平成8年(1996年)頃です。その頃はインターネットが民間に広く普及して、通信量の増大にともない高速大容量のインフラ構築が望まれていました。そのような中、東北電力では社内の通信用として所有していた光ファイバー回線を地域のために活用する試みとして、女川町立病院(現女川町地域医療センター)と東北大学を光ファイバー回線で結び、女川でも高度な医療が受けられるようにする取り組みを進めていました。私も所属していた立地環境部(当時)の1人としてこのプロジェクトに参加しました。

──以降の女川地域との付き合いについて教えてください。

 現在のような原子力に係る地域対応に直接携わったのは平成20年(2008年)7月、地域総合事務所立ち上げ(プルサーマル計画申し入れ)のタイミングからです。町内で行われるイベントへの参加や、役場や公共施設等への説明回りを行いました。女川に単身赴任して、牡鹿半島部の担当として浜を歩き、漁業関係者の皆さんと対話をしたり、お祭りに参加したりと、様々な活動を重ねました。初めて女川に「溶け込む」ことができたと思ったのはこの頃です。そしてその後、震災を経験しました。

──震災当時は石巻市の鮎川にいらっしゃったそうですね。

 はい、あの日2号機は定期点検を終えて再起動をしたところで、私は鮎川にある石巻市の牡鹿総合支所にその報告をしに行き、そこで震災に遭いました。発電所へ向かう道路はがれきで寸断されてしまったため、市役所職員の皆さんと一緒に支所で3日間を過ごしました。備え付けの消防服や長靴を防寒着として借りて寒さをしのいだり、近くにあった東北電力の寮から水や米を支所に運んだりしたのを覚えています。

 その後一部のがれきが撤去されて道路が使えるようになり早速発電所へ向かったのですが、途中にあった多くの集落が津波によって甚大な被害を受けているのを目の当たりにして、住んでいた皆さんはどこに逃げたのか、今どうしているのか、とても心配になりながら移動しました。発電所に着くと所員が「来ているよ」と教えてくれて、そこで地域の方々が身を寄せていることが分かって、本当に安堵しました。

 

 その後発電所に合流し、地域総合事務所のメンバーと共に、総務課が担当していた避難住民への対応や災害本部関連の業務、あるいは連絡の取れない会社や地域の関係者の方の捜索などを引き継ぎました。

 私は避難住民への対応を担当し、本店や宮城支店からもバックアップをもらってシフトを組みながら88日間、6集落364名の避難生活のお世話をしました。トイレや食料など様々な問題が発生して地域の皆さまにはご不便をおかけしましたし、また当時多くのボランティア団体が女川を訪ねてこられて、その中にはありがたいことに炊き出しの申出もあったのですが、発電所の敷地内は火を使えないので敷地外で調理した食べ物を持ち込みしていただくなど、ご苦労をおかけしました。原子力発電所の構内という特殊な環境もあり何かと調整に苦慮する毎日でしたが、それでも何とか乗り切ることができたのは生活ルールの周知や要望の取りまとめなどでご協力をいただいた各地区の区長さま、後方支援をしてくれた発電所や本店の社員、その他多くの関係者のおかげだと思いますし、約3ヶ月続いた避難生活の中頃にあたる4月の下旬に、避難住民の方々の気分転換も兼ねてお花見をしたのは良い思い出です。今になって振り返ると「皆で本当によくやったな」と思います。

──今も町の方と当時の話をすることはありますか。

 当時の苦労話をしたりしますね。

 あの生活を通じて、これまで顔は知っていても直接話をしたことがなかった方々とも関係が深まったことは、大きな財産だと思います。

──再稼働を迎えていかがですか。

 地域の皆さまを始め、関係する方々に感謝しています。

 女川・石巻は震災によって大きなマイナスからの再スタートを余儀なくされました。私にとって地域の復興と再稼働への思いはほぼ重なるものがあり、今回の再稼働はこれまでの街並みの復興に続くものとして捉えています。大変感慨深いです。

 そして地域対応に携わる1人として思うのは、今回の功績は現在取り組んでいる我々だけのものではなくて、先人の皆さまが築いてきた信頼関係があってこそのものだということです。

──地域との関わりについて大事にしていることを教えてください。

 「信なくば立たず」という言葉です。この言葉は政治に関するものですが、地域対応の重要性を示す言葉として代々先輩から伝わっているものです。「地域からの信頼なくしては発電所の運営を始めとする電気事業はできない」という地域対応の覚悟が込められていると感じます。

 もう1つ、私は先輩から「原子力を理解してもらう前に自分を理解してもらえ」と教えられてきました。これまでの地域対応の経験を振り返ると、まさにこの言葉の通りだったと感じます。地域の方々に安心感をもってもらうためには、原子力や発電所のことをどれだけ分かってもらうかよりも「東北電力の顔」として自分を覚えてもらうことが大事です。

 また、これは業務ではなく普段の心構えの話ですが、東北電力の社員である前に「良き住民」であろうとする意識が重要だと思っています。例えば地元のイベントや清掃活動への参加は、何も東北電力の社員だから、あるいは発電所があるから参加するということではなくて、地元で生活している住民の一人として果たすものです。初めて業務で女川に関わった時、訪問した先々で先人の皆さまが長年築いてきた地域との信頼関係をひしひしと感じました。家族ぐるみで地元と一体になり、子供たちは小さい頃を過ごした女川が「ふるさと」になる。そういった先人の皆さまの行動の積み重ねが現在の信頼関係のベースになっていることを胸に、「東北電力のDNA」を後輩たちにつないでいきたいですね。

 

阿部執行役員女川原子力発電所長

東北電力のDNA、女川の誇り 目指すは「世界一安全な発電所」

 

阿部女川原子力発電所長

──再稼働への対応の中で、印象に残っていることを教えてください。

 まずは新規制基準の審査対応です。規制委員会とのやり取りは公開で行われるようになったことに加えて、審査には9年を要しました。その間に会合は176回行われ、ヒアリングは598回に及んでいます。新規制基準になる前は長くても2年ぐらいで審査が終了していたのと比較すると、大きく変わりました。

 もう1つ、防潮堤や耐震補強といった安全対策工事の数々も印象に残っています。どれも発電所がこれまで経験したことのないような規模の工事だったことに加えて、2号機は停止中とはいえ燃料を冷やし続けている「生きているプラント」でしたので、工事実施に当たっては多くの制約があり、様々な困難を乗り越えながらの対応となりました。多くの工事が並行して行われたため、昨年7月頃にはこの狭い敷地内に初号機建設以来最も多い6千人もの方が業務に従事していて、少しでも働きやすい現場にできるように渋滞対策を始めとした工夫をしました。

 そして何といっても、発電再開の瞬間ですね。初めて発電する試験併入の時は中央制御室で立ち会い、14年ぶりに制御盤に初負荷「35MW」と表示されたときは涙が出るほどうれしかったです。その後タービン建屋に行って毎分1,500回転のタービン発電機に向かって「よくやってくれた」と言葉をかけました。再稼働を成し遂げることができたことは会社人生の宝だと思っています。

──現場での取り組みの1つに、2022年12月に行われた決起大会があります。これはどのような思いで開催されたのでしょうか。

 言うまでもなく発電所はメーカーなど協力企業の皆さんあってのものです。大変な工事を進めていくため、現場で働く皆さんのモチベーションを向上してもらえたらと思って開催しました。決起大会ではジャパンラグビーリーグワンの「東芝ブレイブルーパス東京」のアンバサダーである元ラグビー日本代表の大野均さん(福島県郡山市出身)を招いての講演会を行ったほか、「女川」を感じてもらうために地元の方に「獅子振り」を披露いただいたり、各協力企業の大漁旗を飾りました。

 

決起大会の様子。所員および協力企業社員など約600人が参加

 

──女川地域に対しての思いを教えてください。

 私は入社も女川で、当時は運転員でした。運転中のタービンの前に行くと「ここから地域に電気を送っているんだ」と誇らしい気持ちになったのを覚えています。今は4回目の女川勤務で、合計すると女川にはもう21年もいます。家族も一緒に住んでいた時期もあって、女川は一番馴染みのある勤務地で、まさに「第2のふるさと」です。2号機は2013年の12日27日に適合性審査の申請を行いましたが、その書類の提出にも関わりました。女川の審査から工事、検査、起動の立会まで携わることができて、幸せに感じています。

 また私の出身は福島県です。福島第一原子力発電所では発電所の安全対策が有効に機能せず、あのような事故に至り悔しい思いをしました。安全対策に「絶対」という言葉はありませんが、それでも女川地域に迷惑をかけることは絶対にあってはいけないと思っています。

──再稼働を迎えていかがですか。

 震災直後の状況から立ち直り、審査対応と工事を経て安全性を高め、14年ぶりとなる再稼働を迎えられたことを大変感慨深く思います。これまでの審査、工事、検査、訓練、起動など一つ一つの過程に関係した方すべてに感謝しています。

──女川2号機の安全対策で「東北電力らしさ」を感じる部分はありますか。

 14.8mの敷地高さやピット構造の海水ポンプなど、女川には元々先輩方による備えがありました。そこに加えて更に安全対策が追加され、「東北電力らしさ」が増したと感じています。女川の想定津波高さ23.1mに対し防潮堤高さを設計上可能な最大高さである29mにしたことは、地域へ責任を果たそうとする東北電力の意志の表れだと思います。安全裕度を大きく取っていることは「安全対策に終わりはない」という東北電力のDNAそのものであり、女川の誇りと言っていいと思います。こういった「先輩方の思い」は是非これからの所員にも受け継いでいってほしいです。

──地域との関わりについてどのようなことを大事にしていますか。

 原子力発電は地域からの理解無くしては成り立たない事業です。発電所では女川・牡鹿地域の3,700戸を訪問する「こんにちは訪問」を始め、地域のイベントにも積極的に参加しています。発電所に勤務しているだけだと地域との接点はなかなか生まれないので、自分の仕事が社会に果たしている役割を実感してもらうという意味でも、所員には積極的に地域とコミュニケーションを取ってほしいと思っています。最終的には会社対地域という関係ではなく、「電力のあの人が言うんなら大丈夫だ」と安心してもらえるような人間対人間の関係になることが理想ですね。

──これから注力したいことを教えてください。

 1つは人財育成です。これまではどうしても工事への対応が中心でしたが、再稼働を迎えて、地域の方々からは所員のスキルを心配する声をいただくこともあります。安定運転を継続していくために「人を育てる」ことに注力していきたいです。

 そしてもう1つは継続的な発電所の安全性向上です。福島第一の事故が我々に残した教訓の1つは「既存の規制基準を守るだけの安全対策では不十分だ」ということ。世界一の安全性を持つ発電所を目指して、「コンプライアンス(規制基準)からエクセレンス(最高水準)へ」の意識で取り組みを続け、自信と誇りをもってはつらつと業務を行う「誇り高き発電所」をつくりあげたいと思ってます。

※本インタビューは2024年12月に実施しました。

 

女川2号機のあゆみ

 女川2号機は11月15日18時、発電を再開し再稼働しました。東日本大震災の日に停止してから実に14年。長い月日を経て、BWR(沸騰水型軽水炉)プラントとして、また東日本大震災で被災した原子力発電所として、初の再稼働を成し遂げました。

 改めて、これまでの道のりをたどります。

 

(凡例)

★:安全対策工事に関連する項目

●:原子炉設置変更許可申請に関連する項目

▲:工事計画認可申請に関連する項目

■:原子炉施設保安規定変更認可申請に関連する項目

 

2011年

3月

  • 東日本大震災発生により、自動停止

2013年

5月

  • ★安全対策工事「防潮堤のかさ上げ工事」開始(プレス)

6月

  • 女川原子力発電所におけるフィルター付格納容器ベント設備の設置工事開始(プレス)

12月

  • 女川原子力発電所2号機における新規制基準への適合性審査申請に係る事前協議を申し入れ(プレス)
  • ●▲■「原子炉設置変更許可申請書」「工事計画認可申請書」「原子炉施設保安規定変更認可申請書」を提出(プレス)

2014年

11月

  • ●原子炉施設保安規定変更認可を補正

2015年

6月

  • ★安全対策工事完了時期を見直し(2016年3月から2017年4月へ)(プレス)

2017年

2月

  • ★安全対策工事完了時期を見直し(2017年4月から2018年度後半へ)(プレス)

2018年

4月

  • ★安全対策工事完了時期を見直し(2018年度後半から2020年度へ)(プレス)

2020年

2月

3月

  • 経済産業相、宮城県知事に2号機再稼働への理解を要請

4月

  • ★安全対策工事完了時期を見直し(2020年度から2022年度へ)(プレス)

5月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)

9月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)

11月

2021年

2月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)

3月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)

11月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)

12月

  • ▲工事計画認可を補正(プレス)
  • ▲工事計画認可を取得(プレス)

2022年

1月

  • 特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に係る事前協議を宮城県、女川町、石巻市に申し入れ(プレス)
  • 特定重大事故等対処施設(特重施設)設置を申請(プレス)

3月

  • ★安全対策工事完了時期を見直し(2020年度から2023年11月へ)(プレス)

6月

  • ■原子炉施設保安規定変更認可を補正(プレス)

2023年

1月

  • ■原子炉施設保安規定変更認可を補正(プレス)

2月

  • ■原子炉施設保安規定変更認可を補正(プレス)
  • ■原子炉施設保安規定変更認可を取得し、再稼働に必要な3許認可がそろう(プレス)

5月

  • ■特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に係る原子炉設置変更許可申請を補正(プレス)

7月

  • 所内常設直中電源設備(3系統目)設置に係る事前協議を宮城県、女川町、石巻市に申し入れ(プレス)
  • ■所内常設直中電源設備(3系統目)設置に係る原子炉設置変更許可申請(プレス)
  • ■所内常設直中電源設備(3系統目)設置に係る原子炉設置変更許可申請を補正(プレス)

9月

10月

  • ■特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に係る原子炉設置変更許可を取得(プレス)

12月

  • 宮城県、女川町、石巻市が特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に同意(プレス)
  • ■特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に係る設計及び工事計画認可申請(プレス)

2024年

2月

5月

7月

9月

  • 燃料装荷を開始(プレス)(関連BRIDGE記事)
  • ■特定重大事故等対処施設(特重施設)設置に係る設計及び工事計画認可申請(2回目)(プレス)

10月

11月

 

 

イイね!
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