
無力感に襲われた山林火災。対応のカギは安全確保と情報収集
2月19日に大船渡市の三陸町綾里田浜、25日には陸前高田市の小友町で相次いで山林火災が発生。綾里田浜の火災は25日、小友町の火災は26日正午に鎮圧宣言がされたものの、直後の26日13時頃に再び大船渡市赤崎町で3度目の火災が発生し、複数の地区に被害がおよびました。
──火災が繰り返していた当時の状況について教えてください。
早坂:最初の火災がようやく落ち着いてきた頃に、3度目の火災発生の知らせを聞いたときは、正直「いつまで続くのか」と暗澹(あんたん)たる気持ちになりました。ですが大きく息を吸い、すぐに気持ちを切り替えて初動対応にあたりました。

大船渡電力センター(配電課) 早坂 勝晃 副長
まずは大船渡市の災害対策本部と綾里小学校に設置された消防本部にリエゾンを派遣するなど、情報収集に徹しました。すぐに「当社の配電線路の付近で火が燃え上がっている」という情報が届き、一時的に送電を停止する「保安停止」をすみやかに行いました。その後は強風で瞬く間に火が燃え広がっていったため、それに伴って保安停止の範囲もどんどん広がっていきました。
さらに次の日も、その次の日も、またその次の日も…予測不可能な風のせいで、火は治まるどころかさらに勢いを増していき、ついに保安停止した複数の家屋へ火の手が達しました。

家屋に襲いかかる火の手
私たちとしては、設備の状況を把握するために一刻も早く現場を確認したい気持ちで一杯でした。しかしあまりにも危険な状況だったため、現場への立ち入りは消防から禁じられ、火元から離れたところから現状把握に努めるのが精いっぱいという状況でした。
「一刻も早く電気を届けたい」という気持ちとは裏腹に、「今はどうしようもできない」という絶望感…というか、何て表現すれば良いのでしょうか…無力感を覚えましたね。

──それはこれまでの災害対応とは異なるものですか。
早坂:地震や洪水などの災害は、それらが一旦治まって安全が確認できたら、すぐに被害のあった場所へ向かって対応に入れます。一方山林火災は、風の気分でどの方向に火が燃え広がっていくのかの予測がつかず、すぐに現地確認できない。普段の災害対応とは異なる、難しい舵取りを迫られました。
そのような「足踏み」をせざるを得ない状況にあっても、チームのみんなは「今できることを精一杯やろう」と互いに声を掛け合っていました。そんなチームの姿を見て私も自分自身を奮い立たせ、現場作業員やリエゾンからの情報をもとに、いつでも現地へ飛んでいけるよう復旧作業のシミュレーションに力を入れました。

佐々木:私は3回目の火災発生直後に初めて火災現場へ入りました。「煙がとにかくすごい」という話は事前に聞いていたのですが、これまで経験したことのないほどの煙と焦げ臭さに、不安感と緊張感が一気に高まったことを覚えています。防塵マスクやゴーグルは必須でした。

3度目の山林火災発生直後の三陸町綾里。稜線を覆うほどの黒煙が作業員を襲う
早坂さんから、「気まぐれな風のせいで、火がどの方向に延焼するか分からない。安全確保を最優先に行動するように」と注意喚起があり、火元には近づきすぎないことを徹底しました。また必ず2人1組で行動し、地図を片手に常に退路を確認するように気をつけました。

大船渡電力センター(配電課) 佐々木 渉 さん
──多田さんは支社からの応援隊でした。どのような後方支援に携わったのですか。
多田:私は3月4日から6日まで後方支援に入り、復旧作業にあたる社員が現場で持ち歩く軽食や必要物品の補充などを行いました。後方支援の経験は初めてで最初は不安もありましたが、「頼むぞ!」と力強く送り出してくれた職場の仲間のことを思い出しながら、「現場の皆さんが作業に集中できるよう、しっかりサポートしよう!」と気を引き締めて臨みました。

岩手支社(お客さまサービス) 多田 直輝 さん
特に気を配ったのは軽食の在庫管理です。
なるべく賞味期限の長いものを確保することや、いろんな種類の軽食を用意することに留意しつつ、一方では買い占めにならないように複数の店舗をまわって調達するなど、地域の皆さんへの配慮も忘れないよう心掛けました。

岩手支社の応援隊
復旧を後押しした「恵みの雨」
──3月5日、待望の雨が降りました。
早坂:こんなに雨乞いをしたのは生まれて初めてかもしれません。雨が降ったことで消火活動が進み、さらには現場への立ち入りが許可されることが予想されたので、我々は即応できるよう急ピッチで陣営を組む必要がありました。すみやかな設備確認と復旧作業のためには人数が必要です。宮城県と青森県からも応援隊※を派遣してもらい、万全の体制を敷きました。
※東北電力ネットワーク・東北電力あわせて236名からなる応援隊。2/26~3/13の16日間にわたって対応した

宮城支社による設備巡視
先手を打って準備したこともあり、無事に翌日6日から現場に立ち入ることができたのですが、その時に消防本部でリエゾン対応していたのが佐々木さんでした。
──消防本部などとの情報連携は、どのようなものだったのでしょうか。
佐々木:まさに現場へ立ち入るための交渉です。私たちが立ち入りたい場所とそこでの作業内容を具体的に、正確に伝えることに意を用いました。
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リエゾン対応にあたる佐々木さん(左)
自衛隊から問題ないと判断された場所であっても、消防から「危険なのでまだ入らないでください」と言われることもしばしばあり、現場はとても混乱していました。説明にあたっては電柱の位置や作業したいエリアを地図上にプロットした資料を使い、丁寧に粘り強く交渉した結果、作業の必要性や緊急性などを理解いただき、「消火活動中だけど、ここまでなら…」と部分的な立ち入り許可をいただくことができました。
ハードな交渉もありましたが、「避難されていた地域の方々が家に戻られた際にも、安心して電気を使っていただきたい」その一心でした。

消防が見守る中、懸命の改修作業
──これだけ長丁場の対応だと現場の疲労も相当だったのではないでしょうか。
早坂:復旧にかかわるメンバー全員が少なくとも週1回は休みが取れるよう、ローテーションを組むなどして体制を整えました。一方で復旧作業の進み具合によっては、休みを予定していた社員に出動をお願いすることもあったのですが、嫌な顔一つせず真剣な表情で現場に向かってくれて、とても頼もしかったですね。
多田:経験したことのない大規模な山林火災の中、24時間体制で懸命に対応している社員や協力会社の皆さんの姿に、安定供給に対する使命感をひしひしと感じました。その一員になれたことを誇りに感じています。

現地ミーティングをする岩手支社
非常災害をとおして見えた備えの大切さ
──現地での復旧作業はどのような手順で行っていったのでしょうか。
早坂:現地確認を行った後、被害のあった設備を切り離し、健全性が確認できた設備を順につないで送電しました。9日におおもとの高圧幹線への送電が完了できた時は、消火活動を見守る時間が長かった分、ホッとした気持ちになりました。
一方でまだ避難指示が出ている地域も多くありましたので、そうした地域に対しては住民の方々へチラシを配り、連絡をいただいた方から順次送電対応を行いました。

火災自体は4月7日に鎮火しましたが、現場には根元が炭化して真っ黒になった木がたくさん焼け残っていて、次々と倒れています。今後それらの木が電線の上に倒れてくることが想定されるため、現在そのための対応方針などを検討しているところです。

──最後に、一連の対応を振り返って、コメントをお願いします。
佐々木:消防や自衛隊の方々など、さまざまな関係者と一致団結してこの災害を乗り越えられたことは、とても大きな経験になりました。現場の活動の中でコミュニケーションの重要性を改めて実感したので、「相手も分かっているだろう」と思い込まずに、しっかりと正確に伝えることを意識して、これからの業務にも生かしていきたいです。
多田:私が所属した後方支援隊は4名で班が構成されたのですが、ほぼ初対面の関係性でした。こうした状況下でも、積極的にコミュニケーションをとりながら信頼関係を築き、チーム一丸となってやり遂げられることができて良かったと思っています。
私自身も3日間役割を全うすることができ、自信につながりました。
早坂:今回は前例のない山林火災でしたが、一人ひとりが臨機に対応し、最適な行動をとれたことは、不測の事態に備えて毎年実施してきた非常災害訓練のおかげだと思います。
東日本大震災を経験したことのない若手社員が多い大船渡電力センターですが、コミュニケーションをとりながら自主性を持って行動している姿を見て、非常に心強かったです。これからも地域に寄り添い、街の灯りと笑顔を守り続ける存在として、さらなる成長を期待しています。

(本インタビューは、2025年4月に行いました)
大船渡市へ見舞金を拠出
大船渡山林火災では最終的に約3370ヘクタールが焼失。同市三陸町綾里と赤崎町では住宅86棟などに大きな被害をもたらし、3月25日には「局地激甚災害」に指定されました。東北電力岩手支店と東北電力ネットワーク岩手支社は大船渡市に対し、被災された地域の早期復旧に役立てていただくために各100万円ずつ合計200万円を義援金として拠出しました。
