
「非常災害伝承の集い 東日本大震災を語る」
東日本大震災以降に入社した社員が増える中、震災を経験した社員の体験を語り継ぐ場は年々減り、備えと心構えの重要性を認識する機会は少なくなっています。
宮古電力センターでは当時の体験や教訓を共有し、災害に対する意識の向上につなげるべく「東日本大震災を語る」と題した「非常災害伝承の集い」を催しました。伝承の集いには宮古営業所長(当時)の三國俊晴北日本電線常務取締役をはじめとした当時の所員5名を「語り部」として招き、宮古電力センター所員の他、企業グループなどから約40名が参加しました。
発災直後のこと
伝承の集いではまず、地震発生時の避難行動や避難ルートをそれぞれの心境を交えながら振り返ってもらいました。
- 三國俊晴 北日本電線常務取締役
- 前野牧雄 ユアテック北上営業所副所長
- 田中篤 東北電力岩手支店部長兼岩手県南営業所長
- 宮古営業所前の堤防を越える津波の様子
三國俊晴宮古営業所長(当時)
大津波警報の発令により、300m先の避難所へ26名が徒歩で、残る25名は約3km離れた宮古技術センター(当時)へ車両で移動し、全員が避難しました。二手に分かれて避難する方法は平時の議論で導かれていたもので、所員は共通認識として持っていました。避難した所員には社屋に残って対応したい気持ちももちろんあったと思いますが、人命優先で対応しました。
前野牧雄配電課長(当時)
避難する際に使用する車両と、だれがどの車両に乗るかはあらかじめ決めていたのですぐに出発準備は出来ました。反省点は他の人の避難まで気を回してしまって出発が遅れてしまったこと。渋滞に巻き込まれ、普段は5分で行けるところを20分要しました。
田中篤お客さまセンター課長(当時)
震災の1年前、車椅子を使用する社員が転入してきました。避難先まで単独で移動することが可能か事前に検証していたので、発災時の避難も若手社員がアシストして円滑に移動できました。万が一に備えて普段から確認しておくことが大事だと思います。
不安な一夜を明かしたあと
それぞれの避難先で不安な一夜を明かした皆さんは、翌日以降どのような行動をされたのでしょうか。
- 後藤拓夫さん(東北電力ネットワークOB)
- 冨永敏弘久慈電力センター所長(現一関電力センター所長)
- 2011年3月17日の写真
後藤拓夫安全主査(当時)
着の身着のままなのでとにかく寒くて眠れませんでした。翌朝になり、所員みんなで宮古技術センターへ徒歩で向かったのですが、途中で足止めや迂回があり、約3kmの道のりを2時間40分もかけて辿り着きました。到着直後に食べた温かいカップ麺の味は忘れられません。
前野牧雄配電課長(当時)
朝を迎え、まずは被害状況把握のための設備巡視を配電課員に依頼しました。余震が続く中でしたので、安全が確保される範囲内での調査に限って対応をしました。停電解消のためには特別高圧などの上位系統の状況も知る必要があったのですが、幸いにも制御所が同じ建物内にあったため逐次情報を得ることができました。
冨永敏弘配電課副長(当時)
地震発生の翌朝からは設備巡視と工事手配の連続でした。毎晩19時過ぎからは翌日の工事計画をホワイトボードに書き出してみんなで整理しましたが自治体要望案件などもあり、工事優先順位を巡ってしばしば議論がありました。写真は発災6日後となる3月17日20時30分頃。NTTや水道施設の送電を翌日に控え、まだ限定的とはいえ初期段階での復旧工事が軌道に乗り始めたように感じたのを覚えています。
当時を振り返って
三國さんは震災の前年のことを振り返り、「宮古市の広報誌『広報みやこ』が震災の1年前に津波特集をしていて、私はそれに目を通して大地震や津波への意識を新たにした。今にして思えばあれが『備える大切さ』を考えるきっかけ。今後も大地震や津波は必ず起こる。津波や台風で被災した事業所だからこそ、節目にはそこで起きたことを共有していくことが必要」とまとめました。
語り部の話を聞いた若手社員からは「当時、自分は中学生で大人たちに従い避難して支援を受けたりするだけの立場だったが今はそういかない。電気事業に携わる人間として復旧・復興に尽力する覚悟を新たにし、何をすべきかを普段から考えておく必要性について考える機会になった」などの感想がありました。
閉会にあたり佐々木力宮古電力センター所長は「宮古電力センターは東日本大震災前の2010年から2011年にかけて年末年始の雪害があり、その後津波、そして台風でも浸水被害に遭い、多くの災害経験を持つ事業所。今後も過去の事例を紐解きながら、災害対応力強化に向けて取り組みを進めたい」と抱負を語り、所員に共有と伝承を呼びかけました。
- 佐々木力宮古電力センター所長