
基幹システムの設計を任される
── 本店ではどのような業務を担われたのですか?
営業部や企画部で電気料金や電気事業制度に関する仕事を担当しました。
営業部では、営業所から着任後すぐに電気料金システムの大規模再開発チームに組み入れられました。私は最若手でしたが基幹システムの設計を任され、必死になって一から勉強しました。未だに覚えているのは、上司から「お前たちに任せるけどキップ(電気料金領収証)だけはちゃんと出してくれよ!」と言われたことです。自分の設計したシステムで請求書や領収証が毎月600万枚お客さまに届くのかと思うと震えるほどやりがいのある仕事と感じた瞬間でした。
システム設計は初めてでしたが、そこで学んだ論理的思考は後々の仕事にも役立っています。例えば、システム化にはマニュアルなど文書で記載された業務を「インプット→条件整理→演算処理→アウトプット」のシステム的な流れ(フローチャート)に変換します。シンプルで美しいフローは、開発も容易でトラブルも少ないシステムに仕上がることを経験で学びました。
一方、現場実務はというと、様々な事象すべてを網羅しようとするのでマニュアルが複雑で膨大になる傾向があります。特に電力会社のような公益・規制事業ではお客さまのニーズに合わせながら、取扱いの公平性を保つために詳細なマニュアルがつくられます。そして、ミスや不祥事があるたびに再発防止策をつけ加えていくので、気が付けば誰も覚えられないほどの膨大なマニュアルになっている。そして、それがまたミスや苦情を招いてしまうんですね。
── まさに悪循環ですね。
ですから、本当は業務そのものを時代にあわせて根本から見直してシンプルにする。それが効率性を高めるし、ミスを少なくする唯一の道なんです。これはすべてに通じることですから、社長になってからも「単なるコストカットでなく、根本的な業務の流れを見直せ」と言い続けてきました。
私自身も役職が上になるほど情報がありすぎて判断に迷うときがありましたが、「最も大切なフロー(目的)に集中し、何を切り捨て、何を得るべきか」を考えるよう意識してきたつもりです。
東北・新潟地域にメリットを残す
── 企画部ではどのような役割を?
企画部では料金原価や長期収支を扱う「原価班」で、電気料金改定と経営計画に関わることになります。
当時は、第2次オイルショックを受けた大幅な料金値上げの後、さらに原油価格が高騰して「100ドル原油もあり得る」と言われ、再値上げの臨戦態勢に入っていました。そして国も電力会社も、石油主体の輸入燃料に頼っていた構造から、原子力、石炭、LNG、地熱などの電源多様化を一気に進めていきます。その資金調達や減価償却・金利など資本費の増加が大きな経営課題となっていました。ただ、私自身は営業部の上司から、「企画部で資本費のシステム化を計画しているようなのでちょっと手伝ってこい」と言われていましたから、ほんの腰掛け的な気分で行ったんです。
ところが実際に料金改定作業が始まるとタコ部屋に籠り、財務の基礎知識の勉強から始めて、システム設計、料金原価分析や収支想定など何でもやることになって、その延長で結局は9年近く在籍することになります。
新料金の認可申請をすると、当局の査定作業に入ります。東京の分室に関係者が泊まり込み、毎日のように役所から出される宿題に答えるため徹夜の作業もありました。申請原価からカットされてしまうと、その分は合理化で生み出さなければなりません。社長以下経営層からは、「当社の将来は、申請料金をいかに守れるかにかかっている!」と檄が飛び、緊迫した日々が続きました。本給より残業手当が多いという過酷な職場でしたが、一方で会社の全部門の数値に関与でき、一気に視野が広がった感もありましたね。
── 電気事業連合会へのご出向も経験されていますね。
中堅管理職になった1991年から3年弱、電事連業務部に出向しました。現在よりも、事業者同士の打合せや国との調整などが頻繁・濃密に行われていて、政策が決まっていく過程や政・官との関係性を垣間見る経験をさせてもらいました。東京育ちでしたが、地方電力しか知らない私にとってある意味新鮮で「世の中はこんなふうに動いていたんだ」と得心したことを覚えています。
当時はバブルが終わる頃でしたが、電力需要は急激に増加していて、地方から首都圏に送るための大型電源開発や送電線整備が進められ、電気事業者間の広域運営が進展する時代でした。特に東北・新潟地域は首都圏に近く、同じ周波数(50Hz)なので、原子力や火力など電源立地点も数多く、電力供給基地としての位置づけが強くなっていきます。
一方、私の心中では、「東北・新潟が頑張って東京に電気を送れば送るほど一極集中を助長し、東北・新潟の人口減少や過疎化が進む」矛盾も感じていました。何とか東北・新潟地域にメリットを残せないか、問題意識が芽生えたのもこの頃です。

電気事業連合会業務部出向時代(左から2人目が海輪相談役)
次回「みんなに助けられた新潟県中越沖地震」へ続く
これまでの連載
第7回「みんなに助けられた新潟県中越沖地震」「情報伝達の壁を取り去る」
第8回「車中の仮眠なら夜明けとともに作業できる」「社員のやる気を失わせまいと考えた」