
電力システム改革に抱いた懸念
── 3・11以降はかつてない大きな経営判断が求められる局面が連続します。
膨大な被災設備の復旧やその後の電気料金値上げは大きな経営危機だったと思います。その他にも、被災発電所が復帰するまで電力がひっ迫したので、緊急電源の設置や計画停電の準備、お客さまへの節電要請など苦しいお願いをせざるを得ませんでした。
さらには東京電力福島第一原子力発電所に隣接する浪江小高原子力地点の計画撤回や、只見川豪雨水害に対する補償など、決断を迫られることがその後も続きました。当社の女川・東通原子力発電所の再稼働を申請しましたが、原子力規制がどんどん強化される中で、膨大な安全対策工事を完遂しなければなりません。未だに大きな経営課題として残っています。
いろいろありましたが、先行きが不透明な中で、様々な関係者の主張や利害がからんでいて、正直、私自身迷うことも多かったですね。そんな時は「今何が一番大切か」を自問自答することにしていました。特に震災後、赤字決算が続いた時には「この会社を潰してはならない、潰させない。必ず経営を回復させ、地域に恩返しする」という強い思いがありました。
震災そのものより、電気事業に大きな影響をもたらしたのは東京電力福島第一原子力発電所事故だと思っています。脱原発運動が全国的に燃え広がり、電力会社に対する不信感が高まりました。それをきっかけに国は原子力規制庁の設置や安全規制の強化など原子力政策の見直しに着手し、脱原発に向けて原子力発電所の運転期間を原則40年とし、再生可能エネルギー固定価格買取制度も導入します。
さらには電気事業制度そのものの改革も行おうとします。いわゆる電力システム改革です。電力供給の全国広域化と市場原理導入を目的として、広域運営機関の設立、小売全面自由化、送配電部門分離の三段階で進められました。
私はこの固定価格買取制度や電力システム改革に対して、当初から懸念を持っていました。資源の乏しい島国である我が国のエネルギー戦略と整合するのか、安定供給を望むお客さまの利益にかなうかという点です。
今、政府は2050年カーボンニュートラルに向けて、さらに太陽光・風力などの再生可能エネルギーを拡大し主力電源化する方針ですが、原子力の利用抜きに達成できるかは、そもそも疑問です。原子力は、再稼働が進まず、新増設や新技術開発はエネルギー政策の中で位置付けを欠いたままです。また、自然エネルギーは変動が激しいので調整力を持たなければなりません。連系する送電線も増強する必要があります。現にこういうコストは電気料金に上乗せされ、国民負担が増えてきています。
それに最近では、山間部でのメガソーラーが土砂災害の原因ではないかとの懸念も出ています。いくら地球環境に貢献してもローカル環境を破壊しては元も子もありません。今後の技術開発によるブレークスルーに大いに期待していますが、当面は原子力、火力などの従来型電源にある程度頼らざるを得ないでしょう。また、電力システム改革の小売自由化や卸市場化は、競争原理で電気料金を下げるという意図がありますが、市場価格の乱高下によるコストアップや安定供給リスクも現実化しています。何にでも「光と影」があります。電力は国民生活に直結するものですから、ここは一旦立ち止まって科学的・技術的に冷静な議論をしなければならないのではないでしょうか?

電気料金値上げの記者会見
それでも地域にこだわる
── 地域の安定供給に責任を持つという使命感とはかけ離れたところで、電力の自由化が進められてしまったところはありますね。
そうなんです。2020年には、発電・送配電・販売の一貫体制が水平分割され、送配電部門が分社化されました。お客さまの契約相手は小売会社ですが、停電対応など安定供給の責任は送配電会社にあります。最終的な責任の所在が曖昧になって、特に災害時の連携作業や一体感を崩す虞もあり、お客さまにご迷惑をかけないか心配です。
そして私たちと地域とのつながりも希薄になる可能性があるでしょう。私たちは分社化を前に、当社はどのような事業をめざすのか、アイデンティティをどうするかなど、真剣な検討を迫られました。しかし結論は「それでも地域にこだわる」でした。そのこだわりを捨ててしまえば、東北電力の存在価値がなくなり、公益的使命感に支えられた企業文化も失うことを危惧したんです。これまで以上にお客さまとのつながりを深め、地域の発展に貢献していくことが東北電力グループの発展につながる道と考えました。
それを「より、そう、ちから。(お客さまにより沿う、地域に寄り添う)」というコーポレートスローガンに込め、企業グループ全社員がお客さま志向でサービスや地域対応を深化させていこうと取り組んでいます。

東北電力・東北電力NW社員代表による「より、そう、ちから。宣言」
次回「東北はもっと怒っていい」へ続く
これまでの連載
第1回「2011年3月11日14時46分」
第2回「別世界で暮らしたい」
第3回「肺結核で1年半の病院通い」
第4回「二人で仙台の街を何時間も歩き回る」
第5回「子持ちの青年部長」
第6回「基幹システムの設計を任される」
第7回「みんなに助けられた新潟県中越沖地震」
第8回「車中の仮眠なら夜明けとともに作業できる」